エクセルシオvol.1  エクセルシオvol.2  プリムローズ  マリンバ  ピアノ(鷹羽弘晃)  飯靖子(オルガン)

野口龍と仲間たち(フルート)  末吉保雄個展  来往舎(入江要介&鮎沢京吾)


コンサート・プログラム

末吉保雄個展
         〜2007年9月23日・東京文化会館小ホール(午後1時30分開演)

1. ソロ…8つのトムトムのために(2001.ソロ No.1)
2. 空の一方に…フルートソロのための(2003.ソロ No.3)
3. 土の歌・風の声…舘野泉の左手のために(2006.ソロ No.5)
4. おくりもの…30人のこどもたちのためのリズムアンサンブル(2007.新版初演)
5. コレスポンダンスI-II…2人のクラリネット奏者のために(1975.1976)
6. たかはしけいすけの詩による4つの歌曲(2000-7)
 詩集『怪談(ラフカディオ・ハーン)』所蔵
1.ゆきをんな 2.むじな 3.耳なし芳一のはなし 4.桜(十六ざくら)

― 曲目解説 ―

ソロ…8つのトムトムのために
 菅原淳の委嘱に応えた。彼が芸大に在学している頃から現在まで、たびたび力を借り、大いに頼りにしてきた。
 自作の一つに「おかる勘平/白秋の詩による歌曲/Sop. Alt-Fl.Cb.Perc.1975 音楽之友社刊(〈音楽芸術付録〉)」
が有る。1975年、瀬山詠子が、私の作品だけを歌うリサイタルを開催するにあたって、室内楽を伴った新作を所望して
出来上がった曲だ。瀬山の名演のおかげで数多く演奏されてきたが、共演者の功績も特筆しておかなければならない。
曲中にはそれぞれの奏者によるソロが有り、かつ精妙なアンサンブルが情感を彩ってゆく。いくつもの名演の記憶の
なかでも、菅原淳が8つのトムトムから、野口龍がアルトフルートから現出させた音楽の時の豊かさは、言葉では言い
表わせない。今日も再演を考えぬではなかった。しかしすでに、この二人に加わってもらった演奏を多くの方がご存じ
だ。むしろこの演奏が、私に、もうひとつ先を考えることを課したので、今日はその「先」、つまり一人の打つ太鼓が、
どれほど様々な表情と色彩を繰り広げ、他静的な構成を表現するか、その課題への取組みを聞いて頂きたいと願った。
 曲は、菅原が「第8回朝日現代音楽賞」を受賞(1998年)した記念のリサイタル(2001年3月21日)のために、2000年の
夏から2001年の2月にかけて作曲した。
 当日のプログラムの一部にこんなことを書いた。全体は[おおむね8部分から成っている。導入と、主題を提示する(1)、
しだいに軽快化する変奏(2)(3)、指先と手のはらで打つ(4)、音色の変化を追う(5)(6)、保続音上の(7)、コーダ(8)。
当初、曲題を思案中に「八面八想」と記することを思ったが、仏教で深い意味をもつ言葉のようで、ひかえることにした。
宗教的な音楽ではないが、私が菅原の8つのトムトムに託した「八想」には、私に思うことの出来る最も大きな、果てしなく
遠方へのそれを含んでいる。]

 くだいていえば、ベートーヴェンはピアノに託したが、今日の作曲家には、太鼓に託す者もいるということだ。

空の一方に…フルートソロのための(2003.ソロ No.3)
 野口龍の委嘱に応えた。一緒に仕事をした最初は、1960年頃。当時、駆け出しどころか、それ以前だった私にも
放送など様々な注文が到来した。連日連夜の収録にさいして、何人かの演奏家と良く顔を合わせた。好んでフルートの
ために書いたので、吉田雅夫、林リリ子両先生から印象深い激励を頂き、野口のほかにも峰岸壮一、衛藤幸雄ほか、少し
後になって小泉浩など、多くのフルーティストから恩恵を得た。自作「8人のフルート奏者のための怜(1970)」は、そのような
日々の果実だった。2005年6月26日、OTOの会が第7回新作コンサートシリーズ〈野口龍と仲間たち/フルートアンサンブル
の夕べ〉で再演の機会をつくってくれた。懐かしさもさることながら、この曲の幸せな生まれを有り難く思った。
 余談だが、当時は、打楽器と重用する作曲家は少なかった。その奏者も多くない時代に、菅原の他、私と芸大同期の岡田
知之、一期上の有賀誠門らと出会えたことは幸せだった(安倍圭子ともよく仕事した。当初、安倍は打楽器全般を演奏し、
マリンバソロの分野への後年の活躍を予測することはできなかった。私が安倍の委嘱に応えて「ミラージュ…マリンバソロの
ために」音楽之友社刊を作曲したのは1971年のことだ)。当時から今に至るまで、笛と太鼓は、私のホームグランドだ。
 その60年代初めから現代に至るまで、野口は、日本の現代作品を、たえず、そしてもっとも数多く演奏してきた。だいぶ
前の記憶だが、日本現代音楽協会主催の演奏会に限っても、1962年から1985年のあいだに121曲を演奏している。また、
故植木三郎(Vl.)、故松谷翠(Pf.当初は若杉弘)と組んだ「室内楽'70」では、多くの新作を委嘱初演している。
 その数えきれない功績に対して、2002年、第11回「朝日現代音楽賞」が贈られた。受賞記念コンサートが2003年4月15日
石橋メモリアルホールで開催されるにあたり、私に新作が委嘱された。出来上がったのが、この「空の一方に…」だ。
 初演当日のプログラムノートの一部を紹介する(この曲の楽譜は、2004年に音楽之友社から刊行された。野口がコメントを
記し、彼も同部分を引用している)。
 [〈空の一方に…〉、様々をフルートに吹きとどけてほしい。いくつもの抛物線、たとえば打ち上げられる花火の炸裂と落下、
しかし、いつかは悠然と飛翔し続けることを思い描きながら…]。曲は、提示(1)(2)、遅い歌、変奏的再現a-d、と構成されて
いる。
 これまでに、私がとりわけ笛に多くを書いてきたのは、奏者に恵まれ助けられてきたからではある。しかし、それだけでもない。
旋律の或るべき省長を、つねに笛を吹く人の呼吸、その変動、刻々の音色(ねいろ)と一体に考えることが出来るからだ。太古
から、人は、ずっと笛を吹いてきた。

土の歌・風の声…舘野泉の左手のために
 舘野泉の委嘱に応えた。舘野と私は、芸大同期。入学前には。ともに豊増昇にピアノを指示した(もっとも、早くから傑出した
才能を認められていた彼と、副科ともいうべき作曲家のピアノは同列ではない。同門と言うはおこがましい)。在学中、私は良く
伴奏を弾いていたためか、ピアノ科の学生たちと行動を共にすることが多かった。だが卒業後は、周知のように彼はフィンランド
に赴き、私は教職に明け暮れて、出会うことは稀だった。
 2003年、私はガブリエル・フォーレの生地、フランス南西部ピレネー山麓のパミエを訪ねた。フォーレ協会の一会員として現地
の音楽祭に参加し、鎌田直純が歌う自作を聞いてきた。帰途、この地がデオダ・ド・セヴラック(1872-1921)の生地と遠くないこと、
そして、その歌曲への私の学生時代の憧憬を語ってきた。これが発端となって、鎌田と私は、発足まもない「セヴラック協会」への
入会を勧められた。年末の例会は、その歌曲を共演する機会となった。ここで、まったく何十年ぶりかで、舘野と再会した。彼は、
大変な苦難を乗り越えて、左手での演奏活動を始めていた。
 新作の依頼を受けてすぐ、それがどうあるべきか話し合った。先立って、彼は「ひまわりの海」を、私は、当地の教会の鐘や、聖地
の長い残響を話題にしていた。舘野は「我々と、セヴラックを結ぶ曲を…」と願い、その生地オクシタニー(ラングドック、すなわち
ドック語が話される地域)の風土、歴史に思いを馳せた。はるかにピレネーを望み、麦や葡萄の畑の広がるこの地は(私は40年
ほど前に、ここを通り過ぎていたが、昔から巡礼たちの道が通い、またアルビジョワ十字軍が暴虐の限りを尽くした。その日々は
私たちにもつながり、人々と、人それぞれの生を深く考えずにはいられない。
 [とはいえ、曲は、これらを描くものではない。ただ、弾く人、聞く人それぞれが、たがいに音の向こうに、土の上に過ぎる大きな
時を思う契機でありたいと思う。]と、私は曲の楽譜(音楽之友社2007年刊)に書いた。引用を続ける。[曲は、中断なく演奏される
4部分から成る。舘野の初演時(2006年4月)のプログラムノートに、作曲者は4部への当面の仮題を付記した。巡礼の歌、途切れ
がちな風、恐怖の記憶、野を渉る鐘。この楽譜に、それは書かれていない。ある見方に立てば、提示、展開(1)(2)、再現、終結
…すなわちバラード風のソナタ形式とも読めよう。]
 去る7月20日、セヴラックの誕生日、今年も、舘野はこの作曲家の生地サン・フェリックス・ロラゲで弾いた。毎夏開かれるセヴラック
音楽祭の中心となる演奏会。当夜のテーマは〈オクシタニー、日本、カタローニャの出会い〉。私も、仲間と共に出掛けて、彼の弾く、
この曲を聞いてきた。

おくりもの…30人のこどもたちのためのリズムアンサンブル
 このステージは、このコンサートの開催者〈OTOの会〉の強いリーダーシップとバックアップのもとに生まれた。私の音楽活動の
なかの大きな一つの側面、とくに近年の、会員の小さな生徒たちとの交流を知って頂きたいことが出発点だった。プログラムの
「ご挨拶」が記すように、私も、この作品に様々を“意図”して、取り組んだ。ここに至るまでのいきさつを記しておきたい。
 〈OTOの会〉の定例的な催しのひとつに「わたしにもひけるかな?」と名付けられたコンサートシリーズが有る。会員作曲家が、
会員の指導する生徒のために新作を書き、その生徒が演奏〈初演〉するという仕組みだ。1997年に始まって、毎年、弾くため、
聞くためにこどもたちが集まってくる。せっかくだから、なにかアンサンブルがしたい…という声はもっともだが、別々の所でそれ
ぞれの先生に習っている生徒たちだから、練習に集まることさえ大変だ。またひとりひとりは相当に違うので、どうアンサンブルを
形成するか難題だった。
 それで2004年、まず「アリババと40人の盗賊」を私が台本に書いた。生徒、先生(会員)を問わず、気に入った部分に、一つの
和音でもメロディー断片でも良いから、音を書いて送ってもらった。これを『音楽パッチワーク』と称して、楽曲に縫い上げた。参加
する生徒は、全員が朗読、リズム打ち、ピアノ演奏を一度ずつ行い、そして歌う。これで、35分の「音楽物語」が出来上がった
(2004年3月30日初演)。
 案じたよりは面白かったので、次は「『あんたがたどこさ』の替え歌作り」を試みた。こどもたちの作詞を、メドレーにした。こども
たちは歌うあいだ、同じ一つのリズム型を繰り返す。「あんたがたボレロ」と名付けた(2005年3月30日)。
 2度とも大冒険だった。しかし〈OTOの会〉の熱心な指導者に恵まれて、みんなで少しずつ作り上げてゆく体験ができた。ふだん、
自分ひとりでピアノに向かっているこどもたちが、おなじ年頃のともだちと集まって演奏を楽しむ。出来そうで、なかなか容易では
ない。それでも、いっしょに呼吸を合わせて演奏する楽しさを経験してほしい。他を聞き、自分を聞き、それがまた弾く楽しさを増や
すことにつながるだろう。この曲は、そのようなアンサンブルのための第3作である。

 前記のように、この30人も、ふだん顔を合わせてはいない。2つのグループから成るが、一方は水戸またはその近辺に、他方は
東京のあちこちに住んで、別々にレッスンを受けている。集まって練習できる回数はきわめて限られているので、参加者それぞれ
が準備できるような仕組みが必要になる。
 前2作は、言葉に音を付けた。今回は、言葉から離れることにする。言葉の意味、解釈を共有する暇もない。それで、リズムに徹
した。また、生徒は楽譜を用いないことにした。それぞれが、単純リズムの基本型を確実に身に付けておく。それを、いくつかの約
束にしたがって変形し、組み合わせてゆく。リズムのインベンションができるはずだ。(ちなみに、その基本型を、以下のような記号
で表わしておく。

 OOOO・・・・OOO・・・OO・・O・[オモテ]
 ・・・・OOOO・・・OOO・・OO・O[ウラ]

 全20拍。
は打つ、では打たない。
 生徒たちは、まずオモテを覚え、打ち、次にウラ、のちにそれぞれの逆行型:オモテ逆、ウラ逆に習熟してゆく。)
 その基本型と変化を組み合わせ、次の曲ができあがった。
  (1)プロローグ(全員のユニゾン)
  (2)2つのインヴェンション  a:すこし早く、軽く   b:すこし遅く、重く
  (3)シンフォニア
 このように、演奏の素材を符丁にして取り扱う仕方は、日本はじめ、多くの民族の伝統であり、現代になお重用される。五線
譜上に記すと複雑な景色になるものを、簡単な記号と、ちょっとした記憶によって、感覚的、運動上に実現する。じっさいに、こ
どもたちは、大人よりずっと易々と「基本型」を身につけてしまった(五線譜の限界からの自由)。
 このリズムは、日本的だろうか。(1)の終結部では、あえて、こどもたちの大好きな(土俵入り…と呼んでいる)リズムを取り入
れたが、それ以外でのリズム構成は、私のつもりでは、広く長い、つまり古今東西の伝統を受け継いでいる。楽器の選択、奏法、
テンポや強弱の設定、運用によって、演奏の、また音楽のスタイルは、相当に変化するはずだ。
 このコンサートでの演奏楽器は、いろいろな条件を考慮して選択された。抱えて打つ太鼓は「てづくりだいこ」。会員のひとり、
毛利十紀子が長い間に多くを製作したものを借用している。この音色に合わせて、木の棒は太鼓のバチ。最近は、様々な打楽
器を用いることが出来るが、敢えてこのようにした。音色を、もっと対比的に、また多様に展開することは可能だが、むしろ、特定
の様式性のうすい、素朴な抽象性を意図した。音楽は、いつも感情的だったり、劇的であるわけでもない。ここでは、こどもたちの
遊びがシンプルなルールから成り立っているように、リズムを、同様に構成してみたわけだ。
 とはいえ、はじめての試み。ご協力くださった、おおぜいの、すべての方々に感謝申し上げる。

コレスポンダンスI-II…2人のクラリネット奏者のために
 浜中幸一の委嘱に応えた。浜中とは芸大の同期。学生のときから、私がオーケストラのピアノパートに関わっていたり、卒業後も
同じ頃にフランスに留学して、何かと啓発されることが多かった。
 浜中は、1975年のリサイタルで、夫人の二宮和子との二重奏の新曲を望んだ。出来あがった曲が、二人のリレー的な合奏を主と
していたので、翌年は、二つの楽器が並行するような曲を作ったわけだが、浜中も私も、当初からそれを計画していたのではなか
ったと思う。1976年に、もうひとつということになって、対比的な両曲が、単独にも、組にも成り得るように考えはじめたのだったろう。
 題名のコレスポンダンス(仏:correspondance)は、照応、均衡、調和、あるいは往復書簡、交通機関の乗換えなどの意味を持つ
ので用いた。そして両曲の関連性を、I‐II、と表記し、夫妻に献呈した。アカデミア・ミュージックから出版された楽譜には、Iのみ、
またはIIのみの演奏も可と付記した。
 重奏の形式と、このような組の形成は、題名とともに自分に馴染みが良く、これ以後、楽器編成を変えて、今日までシリーズとして
作曲を続けている。

  III‐IV:Fl.Vl.Pf./前記「室内楽'70」のために
  V‐VI:Fl.Perc./故増永弘昭のために(音楽之友社刊)
  VII:Cb.Perc./永島義男のために
  IX:2Vl.Vla.Vc./エクセルシオ弦楽四重奏団のために
  XI:Fl.Cemb./森岡広志・奈瑠子夫妻のために(2002)
  XII:2Fl./Canzona a.b野口龍、永井由比のために(OTOの会刊2005)

 なお、VIII/Cb.Perc.と、X/2Vl.Vla.Vc.は未完。
 ちなみに、作曲を継続しているもうひとつのシリーズに「ソロ」が有る。「8つのトムトムのために」が第1番、「ロンデル…マリンバの
ために」が第2番、「空の一方に…」は第3番、第4番は「何処に…オルガンのための(2004)」、「土の歌、風の声」が第5番である。
今後も、弦楽器などのために続けてゆきたい。

 ところで、I‐IIの演奏を、今日は、菊池秀夫、内山厚志にお願いした。1993年、二人のduoは、日本現代音楽協会主催の演奏
コンクールで第2位を受賞した。そのとき予選でこの曲を演奏した。自作が、若い世代に演奏されることは嬉しい。それまで気付か
なかったことが加わったり、新しい仕方に受け継がれるのを知ると、ほっとしたりする。なかでも、自分が何らかの形で指導に関わっ
たとき、幸せな思いが加わる。

たかはしけいすけの詩による4つの歌曲
 長く世田谷区に住むが、〈せたがや歌の広場〉という詩人と作曲家でつくる会が有って、毎年1回5月に演奏会を開催する。先行
して新しい詩が回覧され、希望作に曲を付けて初演する。1993年頃から出品を続け、1996年からはピアノパートを自演している。
ここで私が作曲した詩の多くは、同一の詩人による。たかはしけいすけ。たまたまの出会いであり、企図したことではなかったが、
結果として、この詩人の詩を10曲以上作曲したことになった。
 「ゆきをんな」は、2000年の作品。バリトンの宮本益光が初演した。詩人は、ハーンの「怪談」を編作することに楽しさを得たようで、
翌年は「むじな」(初演は薮内俊弥)だった。さらに「十六ざくら」が続いた2002年には、今日演奏するソプラノの濱田千枝子に初演
を依頼した。はじめの2曲がバリトンの音域なので、今年、ソプラノパートを新しく書き加えた。今日は「ソプラノ版」初演ということに
なる。あと1,2曲加えて、「組曲・怪談」にする案も話し合ってはいた。が、詩人は、「食人鬼(じきにんき)」「耳なし芳一のはなし」と、
今年になって2篇を加え、なお書き足して「詩集」にするという。けっきょく、「『怪談』からの4つの詩」という題にして、今年の最新作
「耳なし芳一のはなし」を初演する。
 ピアノと声による歌曲の作曲は、私には、ずっと、むつかしい課題だった。学生のときから、声楽家の古沢淑子門下の練習ピアノ
を弾いて、フランスや日本の歌曲をよく学んだので、とても自分らしいスタイルなど思い付かない。恩師石桁眞禮生の歌曲の独自な
様式はまた、あまりに近くに在り、遠くに見ることができない。
 1990年に「奏楽堂日本歌曲コンクール」が始まって、演奏の審査員を仰せつかった。その第1回の課題曲は滝廉太郎作品。この
とき、なんと250を超える「荒城の月」の演奏に接した。私にとって、それは、まさにカルチュアショックだった。250通りの「荒城の月」
だった。そのときから、山田耕筰、信時潔から中田喜直を経て現在に至る、いわゆる日本歌曲を、また学びなおしてみようと考えた。
今日聞いて頂く曲が、そこに、どう繋がるのか否かはわからない。日本語、詩歌、読者、演奏者、聴衆、先輩たちからの継承…楽し
みながら作曲してはいるものの、考えることは多い。ところで、ハーンが書いた話は、英文である。訳は、訳である。このあたりのことも
また、色々と思う。

たかはしけいすけ(プロフィール)

 1962年、愛知県生まれ。10代から詩作をはじめ、「現代詩手帳」「ユリイカ」等の詩誌への投稿をする。
 1989年、第一詩集「なんとかして」(栞文=川崎洋・木坂涼)を上梓。“日常の易しい言葉で対象の深みをみせる表現”と評価される。
 以降、詩作のほか、絵本の翻訳・歌曲などの詩作・ラジオCMへの詩の書き下ろし等の活動もしている。
 近年は、音楽家とのコラボレーションに意欲的で、音楽を前提に詩を書くことが増えた。現在、久しく途切れていた自身の詩集を計画中である。
【演奏者】
菅原淳(パーカッション)
大阪生まれ。東京芸術大学卒業。フランス政府給費留学生として、パリ・コンセルバトワールに留学。
J.ドレクリューズ、S.グァルダの両氏に師事。1974年、ラ・ロッシェル国際打楽器コンクール第1位。
グループ「3マリンバ」、アンサンブル「ヴァン・ドリアン」を結成、作曲家に曲を委嘱し、数多くの日本初演をする。

1980年、パリで行われた国際打楽器コンクールの審査員を務める。1983年、中島健蔵賞受賞。1996年、平成7年
文化庁芸術祭優秀賞受賞。1999年、第8回朝日現代音楽賞受賞。2000年、カナリア諸島音楽祭において、石井
眞木作曲「アフロ・コンチェルト」をゲルト・アルブレヒト指揮、読売日本交響楽団と共演。読売日本交響楽団首席
ティンパニ奏者。東京音楽大学准教授。


野口龍(フルート)
フルートを吉田雅夫、林リリ子の両氏に師事。桐朋学園短期大学音楽科在学中にABC交響楽団入団。
後に日本フィルハーモニー交響楽団入団。
読売日本交響楽団入団。1970年「室内楽'70」を植木三郎、若杉弘(後、松谷翠)と共に結成、10年を目標に
日本の現代音楽の紹介に務める。
1978年読売日本交響楽団を退団以後独奏や室内楽に活発な活動を続けている。
ことに現代音楽の分野においてその活躍は目覚しく、1964年コペンハーゲンで行われたI.S.C.M.国際現代音楽祭
に於いて福島和夫作曲「フルートとオーケストラのための飛鏡」の演奏や、カール・シュトックハウゼンの作品初演、
フルートのオーレル・ニコレやオーボエのハインツ・ホリガーとの共演など、その実力は国際的に高く評価されている。
又、桐朋学園芸術短期大学講師、桐朋学園大学講師、上野学園大学客員教授として後進の指導にもあたっている。
現在、東京フルートアンサンブルアカデミーメンバー。2002年第11回朝日現代音楽賞受賞。

舘野泉(ピアノ)
1936年生まれ。東京芸術大学を首席で卒業。これまでに、日本、北欧五カ国をはじめ、世界各国で3,000回を超える
コンサートを行い、その、暖かく、人間味溢れる演奏によって、あらゆる地域の聴衆に深い感銘を与えている。リリース
されているCDは100にのぼる。純度の高い透明な叙情を紡ぎだす。この孤高の鍵盤詩人は、演奏生活40周年記念
リサイタル・ツアーを日本とヘルシンキで行った翌年、脳溢血で倒れ、右半身不随となる。2年半に及ぶ苦闘の日々を
不屈の精神で乗り切り、2004年5月左手による演奏会で復帰を果たす。演奏活動再開の様子は、ドキュメンタリー番組
「左手のピアニスト〜舘野泉 再びつかんだ音楽〜」(NHKハイビジョン特集)、「奇跡のピアニスト」(TBS特集)などで
紹介され、大きな反響を呼んだ。再起への道のりをつづった著書「ひまわりの海」も出版された(求龍堂刊)。彼に捧げ
られた作品と彼が委嘱した作品のみによるリサイタルが2006年5月に満員のサントリーホールで行なわれ、静かで大き
な反響を呼んだ。命の水脈をたどるようにして取り組んだ左手による作品は、いずれもひたむきに燃える愛情に裏打ち
され、聴く人の心に忘れがたい刻印を残す。

菊池秀夫(クラリネット)
1994年桐朋学園大学卒業、1996年同研究科修了。クラリネットを二宮和子氏に、室内楽を鈴木良昭、三善晃、徳永
二男の各氏に師事。1993年日本現代音楽協会主催コンクール“競楽II”にて内山厚志氏とのDuoで第2位。1994年
東京文化会館新進音楽家デビューオーディションに合格。同デビューコンサートに出演。1995年「新しい世代の芸術
祭」にてリサイタル。1996年ドイツ、ダルムシュタット音楽祭にて、シュティベンディエン賞を得、1998年の同音楽祭に
招待される。1997年よりアンサンブル・ノマドのメンバー。2001年、サントリー・サマーフェスティバルにて、ストラヴィン
スキー「エボニー協奏曲」のソリストを務める。2003年アンサンブル・ノマドは第2回佐治敬三賞を受賞。現在はノマドの
活動を中心に、スタジオでのレコーディングやライブハウスでの演奏も始める。

内山厚志(クラリネット)
1994年、桐朋学園大学卒業。同卒業演奏会、第64回読売新人演奏会出演。同年、群馬県教育委員会の奨学金を
得てドイツ国立フライブルク音楽大学大学院に留学。留学中ウクライナ現代音楽フェスティバルをはじめ、数多くの演
奏会に出演。またフライブルク歌劇場管弦楽団エキストラ奏者としても活動。1997年、同大学院修了後帰国。ソロなど
の演奏活動のほか、講習会の講師としても日本各地で活動している。菊池秀夫氏とクラリネットDuoで日本現代音楽
協会主催コンクール“競楽II”第2位受賞。千葉理、谷尻忍、鈴木良昭、ディーター・クレッカー各氏に師事。

濱田千枝子(ソプラノ)
函館市出身。東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。同大学院修士課程修了。桐生郁子、瀬山詠子、畑中良輔の各氏
に師事。バッハの「カンタータ」「マタイ受難曲」他、ヘンデルの「メサイヤ」、シューベルトの「ミサ曲」などの宗教音楽を
レパートリーとする他、石桁眞禮生、團伊玖磨をはじめ幅広い日本歌曲への意欲的な取り組みを中心に活動している。
最近では、青の会主催「信時潔没後40年に・・」での演奏に(2005年8月1日紀尾井ホール)高い評価を得、また新作の
初演にも多くの経験を持ち、2000年以来、末吉保雄の歌曲初演を毎年続けて行っている。第1回奏楽堂日本歌曲コン
クール入選。青の会、詠の会会員。


第2部出演者
グループI:〈小3〉三輪愛美 〈小4〉岡部賀子 〈小5〉小口藍子、高橋桜子、幡谷祥子、藤枝祐二、宮永久星
       〈小6〉北村真梨奈、熊木郁人、宮永香純 〈中1〉三輪恵美
グループII:〈小1〉森井謙 〈小3〉澤田幸一、竹川佑杜、都筑はるか、長瀬理仁、宮原茉奈、宮崎真里佳、森井優里亜、
        山崎奈々 〈小4〉岩崎蓮、上嶋亜美、須田陽向子、西田
山崎光 〈小5〉井上麻希、生静悦、堀江遼顕
       〈中1〉圷恵里香、井上沙英


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